気ままなタンス*プログラミングなどのノートブック

プログラミングやRPGツクール、DTM等について、学んだことや備忘録をアウトプットとして残し、情報を必要としている誰かにとって「かゆいところに手が届く」ブログとなることを願いながら記事を書いています。

【雑記】会議の段取り力が不足していることに危機感を覚えた話

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簡単な仕事、難しい仕事

おそらく誰しも、ゴール地点や方針が決まっているものに対して仕事に取り組む場合、 さほど困難はなく最後までやりとげることが可能だろうと思う。

ただ、その逆で、雲をつかむような状態・・・とは言いすぎだが、 方針が定まっていない状態であったらどうだろうか。

仮にコンサルティングや管理職・経営者の立場であれば、それが日常茶飯事である可能性が高く、別段苦手意識は存在しないかもしれない。

しかし、僕の現在の立場であるエンジニアとしてシステムに関する仕事をしていく中で、 その「状態」に出くわし、苦手意識の表出と同時にスキル不足を実感してしまった。

具体的に、どんなスキルが足りなかったのだろうか? 一言で表すとするならば、段取り力だろう。

段取り力不足

こちらの役割として伝えたいことは、資料を用いて(下手なりに)説明することができた。しかし、資料説明後に沈黙が続いてしまった。

質問はないか、課題事項は何か、次回までのタスクは何か。 打ち合わせの本題ともいえる議論に繋げるための司会進行が全く機能していなかったのである。

打合せ結果としては問題なく、現状の整理と次回までのタスクを共有することができ、建設的な議論ができた。 しかしそれは、上司のフォローがあったからであるとともに、社内の人物が相手だったためである。 自分一人では到底その場を乗り切ることはできなかったと感じる。 また、社外のユーザ相手であれば、おそらく苦言を呈されていることだろう。

打ち合わせの目的は乗り切ることか?

・・・僕自身の場当たり的な思考を示すため、あえて「乗り切る」という言葉を使った。

つまりはこういうことである。 「未確定な状態からいち早く抜け出すためには、今回の打ち合わせで絶対に説明を終えなければならない」と焦り、その超短期的なタスクに気を取られすぎ、打ち合わせを乗り切ることに躍起になり、視野が狭くなってしまったのだ。

打ち合わせの目的は、資料内容を全て説明することではなく、 新たなシステムを導入する上で、各々の認識を一致させることである。

説明がわかりづらい等の指摘は誰からも出てこない。 しかし、それは打ち合わせメンバーが優しい眼差しで見守ってくれている(もしくは無関心)からであり、 振り返れば振り返るほどと言葉に詰まったり、曖昧な表現が発生したりと、至らない点が多くあったことを痛感する。

ゴール地点が決まっている場合であれば焦りは少なく、一時しのぎ的な対応にもならなかった可能性はある。 しかし段取り力が不足しているという事実にも気づくことができなかったかもしれない。

失敗を経験し、認識し、今後に活かすにはどうすべきか

この失敗を経て、このままではまずいと危機感を覚え、行動を起こすために計画を練った。

なんだ、そんな当たり前なことか、と思うかもしれないが、 打ち合わせの冒頭で、説明したい内容とその議題にかける目安時間を予め1枚のスライドで伝えることにしたのだ。

打ち合わせ中にアドリブで段取りができないなら、事前に準備するに越したことはない。

失敗を経験する前は、"説明するタスクを終わらせること"ばかりに意識が向いていたが、 相手に説明内容が伝わることに意識が向くようになった。

・・・さて、その結果はどうだったのだろうか?

実は、今日の打ち合わせが練りに練った計画を実行するタイミングだった。

時間配分が多少前後したり、言葉に詰まったりということはあったものの、打ち合わせの目的である「認識の一致」を達成することができた

なお・・・認識が一致したことで、システム化する対象が変わったのは、また別の話である。